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久しぶりの更新です、(平成24年3月17日)ここ数日ニュース等でLCC(格安な航空路線)の新規就航が話題になっています、ピーチなんていうのも確か空港は関空からでしょうか、ぜひ一度体験搭乗したいと思っています。ところで日本の空港の中でもLCCをいち早く誘致した大分空港についてですが、ここは沖縄の米軍基地移設の候補地に挙がるなどで以前も話題になりました、福岡や長崎、熊本といった九州でも有名な観光地の間に立地しており、現状では赤字空港の仲間に入ってはいるものの、大分県が破格の内容とはいえLCC誘致を決定し、中国の春秋航空の定期空路を勝ち取ったことは、これからの都市開発にとって具体的にその一つの手法を示してくれたともいえ、これはすばらしい英断だったと思います。直接中国からの観光客を九州のど真ん中に連れてくることになるわけですから、関連の観光産業ばかりではなく交流が盛んになる事によりほかの商工業、製造業にも大きな影響を与えてくるでしょう。もちろん、それらの動きを感じとり具体的な行動に移るか否かは、大分県民の意思のみが決めることですが、空港は以前とはまったく様相が変わり大いに込み合っているそうです。
喝采を送ろうではありませんか。
それでは久しぶりに本題に入ろうかと思います、一向に春日山城を再建するなんて話は上越地域の巷には出てきませんが、地道に活動をやるのがいちばんでしょうか、この山城の段落のあとに、国会図書館で見つけた春日山城絵図の話を入れたいと思っています。
日本5大山岳城のなかの春日山城
上越地域の3大城郭といえば、一番古いものが春日山城、そしてその後の福島城、
最後が歴史的にも一番新しい高田城です。すでに高田城は再建されていますが、時期としては全国でお城の復興がブームのように行われた頃の最後の方になるのではないでしょうか。春先の上越の観光の目玉としては高田城のみが唯一お花見のシーズンに孤軍奮闘してがんばっているという印象があります。
もちろんこれは“お花見のシーズンのみ”であることも事実です。
一方で、もっと古い時代の春日山城や福島城ですが春先はほとんど観光とは結びついていないと判断したほうがよいのではないでしょうか。春日山はテレビの影響もあり観光客はわずかばかりが訪れていますが、地域経済に貢献しているなどとはとてもいえない状況。
全国的に見て、この3個の城郭でどれが一番かといいますと、断然に春日山城が、歴史的な重要性、希少性、話題性に富んでいるはずですが上越市民のなかに今ひとつ愛着がない。数年前に例の直江兼続の大河ドラマで春日山は話題になりましたが、それ以後は潮が引くかのごとく観光客は減っているのではないでしょうか。
高田城は桜の季節ですと夜桜は全国的に見てもトップレベルで美しいものがありますが、城の規模としてみた場合には、高田城クラスのものは全国に非常に多くあります。特に江戸時代のお城は歴史資料の残っている城郭が日本にはたくさんありますので(大阪城、名古屋城、姫路、熊本などあげればきりがありません)今ひとつ、パンチ力に欠けるのはやむなしというところでしょうか。
それに対して春日山城の場合、特に謙信が活躍した時代の大規模城郭(山岳城)の再建は全国にもほとんど例がありません、(残念ながら春日山城を再建しても山城としては再建の一番乗りではないことを先日発見してしまいました。愛知県豊田市の足助城(平成5年復興、二重隅櫓、木造による推定復元)に、一番を取られていたんです、ちょっと残念(>_<)
時代も相当さかのぼるため資料そのものが少ない状況にあることも再建例が少ないことの理由と思われますが、春日山は日本5大山岳城の一つとして挙げられており、当時の難攻不落で巨大であったとされる歴史的な建造物(群)は、上越地域の大規模観光施設として再興するに最もふさわしいものであると考えます。
また、再興に取り組んでいない上越地域の現状は非常に残念なことです。
春日山城は日本5大山岳城のひとつとして分類されていますが、五個の山岳城の一覧がありますのでご覧ください。(★印は小生の写真がありますので順次公開します) |
令制国名 |
城 名 |
所在地 |
出雲 |
★月山富田城 |
島根県安来市広瀬町 |
能登 |
七尾城 |
石川県七尾市古城町 |
近江 |
観音寺城 |
滋賀県近江八幡市安土町 |
越後 |
春日山城 |
新潟県上越市中屋敷 |
武蔵 |
八王子城 |
東京都八王子市 |
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資料:フリー百科事典ウィキペディア
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参考までに、山岳城と山城の違いについては、以下のような説があります。
山城は山の山頂部や尾根伝いを中心に戦闘用の城郭を構え、住居は山麓に別に居館を設け日々の暮らしを営み、有事の際に山頂に立てこもり戦うという城の造りであり、それに対して山岳城は山頂から山麓まで広範囲に曲輪や屋敷を配しその全体を城郭とし、平常の暮らしも山頂から山麓まで広範囲に配置された屋敷において営まれていたものとされており、山岳城は山城から平山城や平城への移行期として解釈されています。
この説は学者や考証した時期によって多少解釈にずれがあるようですが、謙信が戦の前に先勝祈願をしたといわれる毘沙門堂は実際には山頂の天守部分にあったとされていますし、現在販売されている春日山古城図(春日山神社発行)をみますと山頂付近の建物の配置などからも、生活の場として判断できそうな記録もあり(国会図書館の春日山城絵図参照)、春日山城は山岳城という分類に入ってくるのかなという感じがします。
日本三大山城という分類もあるようですので、その辺の分類は専門の学者にお任せしたいと思います、ちなみに三大山城とは、どこかといいますと岐阜県恵那市岩村町の岩村城、奈良県高取町の高取城、岡山県高梁市の備中松山城、なんだそうです。
三大夜桜:新潟県上越市高田公園、京都市円山公園、長崎県円山公園の説と、もう一つは、新潟県上越市高田公園、青森県弘前市弘前公園、東京都台東区上野恩賜公園の二種類があるそうですが、どちらにも高田城公園が入っていて良かったですね。
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